【映画レビュー】『SEKIRO: NO DEFEAT』|チャンバラよりも、生き様に痺れる一本

映画レビュー
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原作をプラチナトロフィーまでやり込んだ身として断言する。この映画は、ゲームで味わったあの手に汗握るチャンバラを期待して観る映画ではない。

『SEKIRO: NO DEFEAT』は、フロム・ソフトウェアの高難易度アクションゲームを全編手描きの2Dアニメーションで映像化した作品でありながら、その主眼を「激しい剣戟」ではなく「主従の覚悟」という人間ドラマに置いている。ゲームを100時間以上プレイした自分と、ゲーム未プレイの家族とでは、驚くほど見え方が違う一本でもあった。今回はその落差も含めて、演出・シナリオ両面から批評していきたい。

『SEKIRO: NO DEFEAT』の総評

86 / 100

「刀を交える快感ではなく、生き様の重みで魅せる一本」。

  • 物語・テーマ性 5点
  • 演出・映像表現 5点
  • キャラクター描写 3.5点
  • 音楽・世界観演出 4点
  • 原作への敬意 4点

合計 21.5 / 25 → 換算 86点

  • 「物語としてのSEKIRO」として、狼と九郎様が竜胤断ちへの覚悟を抱えながら、九郎様が死ななければならないという事実を互いに分かっていながら言葉にできないまま日常を過ごす――その葛藤の描き方が良かった
  • 狼・九郎以外のキャラクターも丁寧かつ魅力的に描かれている。弦一郎を想う一心の覚悟の介錯、感謝の言葉を残す仏師の最期、料理が得意で仲間を守る半兵衛の姿、恰好いいエマの戦闘シーンなど見せ場が多い
  • 刃と刃が交わる音の音響、戦闘の演出、そして竜咳の演出が素晴らしい。咳が止まらなくなり一瞬で桜となって散る竜咳の表現は、美しさと恐ろしさが同居していた。狼の義父・梟の最期に蝶がとまる演出も良かった。静と動の美しさ、アート性の高さ、詩的なセリフも印象的
  • ゲーム本編にはない弦一郎と一心の関係や覚悟、内府軍との和睦、葦名の村を訪れる場面、内府軍と戦う弦一郎といったオリジナル要素が、ゲーム本編の世界観を壊さず綺麗に保った状態で描かれていた
  • ゲーム未プレイの家族も、細かい設定は分からないなりに「面白かった、もう一度観たい」と言っていた。原作を知らなくても楽しめる土台はきちんと用意されている
  • キャラクターの作画はアップ時こそ素晴らしいが、少し引いた画になると途端に黒塗りだったり作画が崩れて見えたりする。弦一郎の唇の描き方も気になった
  • ゲームをプレイ済みの人向けの内容だと感じた。自分はトロコンするほどやり込んでいるが、未プレイの妻は、弦一郎や半兵衛が死なない理由、一心の復活、仙峯寺の変若の御子の年齢設定などが分からないと言っていた
  • 最後の挿入歌が映画の雰囲気に合っていない。感動的な場面のはずが、歌い出しで笑いそうになってしまった
  • 梟の描かれ方は残念だった。ゲームにはない台詞や最期の演出そのものは良かったが、原作とはどこか違うキャラクター性に感じられた。予告編では狼の過去編に踏み込みそうな予感があったが本編には無く、狼の忠誠心を表現するためだけの、生理的に受け付けにくいキャラクターのまま終わってしまったのが惜しい
  • ゲームとしてのアクション性を期待していたが、実際はドラマにフォーカスした映画だった

※本レビューは物語の核心的な展開には触れていません。

1. 導入

『SEKIRO: NO DEFEAT』は、フロム・ソフトウェアが手がけた高難易度アクションゲーム『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』を原作とし、全編手描きの2Dアニメーションで映像化した作品である。監督はアニメーターとして活動してきた沓名健一監督、アニメーション制作はQzil.la、配給はANIMEC。声の出演にはゲーム本編から続投する浪川大輔(狼)、佐藤みゆ希(九郎)、津田健次郎(葦名弦一郎)ら実力派が名を連ねる。原作は「死んでも生き返る」不死の忍が、理不尽なまでの死と再挑戦を繰り返しながら強敵に挑むゲームプレイそのものが魅力の一つだった。しかし本作が選んだのは、そうしたゲーム的な快感の再現ではなく、狼と九郎という主従二人の覚悟に焦点を絞った人間ドラマとしての再構築である。

2. 演出と映像表現の分析

まず特筆すべきは、全編手描きならではの質感を活かした戦闘演出と音響設計だ。刃と刃が交わる金属音、息遣い、足音といった生々しい音響が、静かな場面との対比でより際立つ。中でも「竜咳」の演出は本作屈指の見どころで、咳が止まらなくなった末に一瞬で桜となって散っていく様は、美しさと恐ろしさを同時に観客へ突きつけてくる。狼の義父である梟の最期に蝶がとまる場面も、多くを語らずに死の余韻を伝える優れた演出だった。全体を通して、派手な動きよりも「静」の間を活かした構成が目立ち、詩的なセリフの数々とあいまって、原作が持つ「もののあはれ」的な美意識を色濃く受け継いでいる。

一方で、作画のクオリティにはムラも見られる。キャラクターのアップシーンは非常に丁寧に描き込まれている反面、引いた画になると急に線が崩れたり、影の塗りが不自然に黒く潰れて見えたりする場面があり、特に弦一郎の口元の描写は違和感が残った。全編手描きという挑戦的な手法だからこその贅沢な悩みとも言えるが、クオリティの振れ幅は今後改善が期待される点だ。

3. シナリオとテーマの深掘り

本作の核となるのは、狼と九郎、二人の主従関係である。九郎の持つ「竜胤」を断つためには九郎自身が死ななければならない――その事実を二人ともにうっすらと理解していながら、決して言葉にはしないまま淡々と日常を過ごす。この「分かっているのに言えない」関係性の描き方は非常に丁寧で、静かな会話や何気ない仕草の端々に、二人の覚悟と葛藤がにじみ出ている。

狼と九郎以外の登場人物の描写も丁寧だ。弦一郎を想う一心が最期に見せる介錯の覚悟、感謝の言葉を残して散っていく仏師の最期、料理上手で仲間を守る半兵衛の人となり、そして小気味よいエマの戦闘シーンと、それぞれに見せ場がきちんと用意されている。一方で、梟というキャラクターの描かれ方には違和感も残った。最期の場面演出やゲームにはない台詞そのものは良かったものの、予告編で匂わせていた狼の過去編に踏み込むような描写も本編には用意されていなかった。結果として梟は、狼の忠誠心を表現するためだけの装置的な役回りに終始し、嫌悪感だけが残るキャラクターとして退場してしまったのは惜しい。

ただし、その分だけ本作は「原作を知っている前提」で作られている印象が強い。実際、ゲームを未プレイの家族と一緒に観たところ、弦一郎や半兵衛が生き延びる理由、仙峯寺に登場する変若の御子といった要素の意味がうまく伝わらなかった。ゲームをプレイし、原作を知る立場からすれば行間で十分に理解できる部分も、初見の観客には説明不足に映るということだろう。もっとも、細かい設定が分からないなりに「面白かった、もう一度観たい」という感想を口にしていたのも事実で、狼と九郎の関係性そのものは原作未プレイでも十分に伝わる作りにはなっている。原作への愛が深いほど評価が上がる一方、間口の広さという点では課題を残す構成だと感じた。

もう一点気になったのは、終盤の挿入歌である。それまで積み重ねてきた静謐で重厚な空気と、挿入歌の軽やかな曲調があまりに噛み合っておらず、感動的なはずの場面で思わず笑いそうになってしまった。楽曲そのものの良し悪しというより、シーンとのマッチングの問題として惜しまれる点だ。

4. 総評

『SEKIRO: NO DEFEAT』は、ゲームのような激しいチャンバラアクションを期待すると物足りなさを感じるだろう。しかし「物語としてのSEKIRO」、つまり狼と九郎という主従の覚悟を描いた人間ドラマとして観れば、非常に完成度の高い一本である。竜咳や梟の最期に代表される演出の美しさ、ゲーム本編を壊さずに拡張したオリジナル要素の丁寧さは高く評価できる一方、作画のムラや、原作未プレイ者への説明不足、終盤の挿入歌とのミスマッチといった気になる点も残る。原作をやり込んだファンほど深く刺さり、そうでない層には少し不親切――そんな両面を持った作品だと言えるだろう。

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